4月初旬、『習志野の歴史を語る会』主催の「張替酒店 特別見学会」が開催されるとX(旧 Twitter)で流れてきたのを発見し急いで応募。応募者多数で抽選とのことでしたが、無事に当選し、見学会に参加してきました。
張替酒店と軍の街
今年で119年目を迎える「張替酒店」、習志野騎兵旅団が活躍した大久保の街に、日露戦争終結後の1905年に創業しました。習志野騎兵旅団は、日本騎兵の父として知られる秋山好古が率いており、日露戦争では大いに活躍した旅団です。秋山好古は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公の一人で、大久保の商店街には関連する碑も設置されています。
習志野騎兵隊の最後の戦いは、昭和20年、太平洋戦争で激戦の舞台となった硫黄島。その死闘を指揮し、映画『硫黄島からの手紙』で渡辺謙さんが熱演したことでも知られる栗林忠道陸軍中将も張替酒店を訪れています。
こちらはなんと栗林忠道直筆の掛け軸。店舗奥に今も残る和室でさまざまな人が酒を飲み、そのお礼として一筆したためたといいます。
張替酒店は、創業者の張替一郎氏が陸軍を退官し、中古のこの住宅を購入し酒店を創業。第二次世界大戦中に習志野騎兵隊の軍人と交流を持ち、習志野騎兵隊の御用達ということもあり商売は順調に推移しており、現在は4代目の張替正信さんへと引き継がれています。
京成大久保駅からメイン通りの大久保商店街を抜け、東金街道沿いを船橋方面へ向かうと、左手にひと際趣を感じる木造2階建ての店舗が見えてきます。
張替酒店 特別見学会
今回の見学会は、店舗だけではなく、奥の和室離れや洋間、日本庭園、板蔵なども見学することができました。今でもここで生活しているということですが、貴重な体験だけに、遠慮しながらもしっかり見せていただこう思います。
倉庫
倉庫の入口では「大日本麦酒株式会社 惠比壽ビール」という木製の看板がお出迎え。両脇のホーロー製の看板も時代を感じる代物です。
さらに奥に進むと年代物のホーロー製や木製の看板などが飾られていました。
日本麦酒(現 サッポロビール)の「ニッポンビール」のプレート。真ん中にはサッポロビールのシンボルである星のマークを冠しています。
「ライオン石鹸(現 LION)」専売店用の看板。日本で初めての家庭用の植物性洗濯石鹸『植物性ライオンせんたく石鹸』を発売したのがライオン石鹸です。
下総国岩井町(現 茨城県坂東市)の相澤酒造の看板。「相澤子之吉」は当時の相澤酒造の当主のお名前のようです。相澤酒造の本蔵は、現在、坂東市の「観光交流センター秀緑」に残っています。
板蔵
張替酒店の蔵は、日本で現存する蔵によくみられる土壁や漆喰で作られた土蔵ではなく、木造建築技術で作られた蔵、板蔵です。薬園台の本陣から移築されたといわれており、築年数は不明です。
かつて手広く商売をやっていたときは株式会社だったようです。
急な階段を上り二階へ。二階はこの蔵を支える大きな梁がありました。
母屋・二階
帳場の裏にある階段から二階へ上がることができます。2階には和室が4部屋あり、料亭のような丸窓や遊び心溢れる装飾がところどころに見られます。
箪笥の後ろに丸窓が隠れています。料亭の雰囲気を醸し出しています。
付け書院の障子は富士山の形をしています。
夕暮れを迎え、看板にも明かりが灯りました。
洋間
外壁はでこぼこ感が特徴のモルタル掃付仕上げのドイツ壁です。当時の屋根の配色を再現した赤と青のカラフルな屋根です。
照明は当時のままの漆喰で塗られた高い天井が特徴の洋間。4畳程度の広さですが、当時は娯楽施設として使われていたとのこと。習志野地区には、かつて洋館付きの住宅が点在しており、大久保付近も10件ほど洋館付き住宅がありました。現在残っているのは張替酒店を含め2件だけとなってしまいました。
和室離れ
店舗の奥に位置する8畳と6畳の和室。廊下に面した襖を開けると、和室から庭園が見渡せるようになっています。
犬養毅直筆の掛け軸。
東京市長 後藤新平から払い下げられた洋ダンス(ドイツ製)です。サイズが和室にはあっていないのがよくわかります。
日本庭園
昭和の香を残す店舗
老舗酒店の歴史
張替酒店に訪れる客のほとんどが、地元の方だそうです。通信販売などは行っておらず、店頭でのみ販売しています。現在の店舗での営業は6月16日まで。その後は、京成大久保駅近くへ移転とのこと。残された建物や蔵の利活用が気になります。
住所/千葉県習志野市大久保1-9-8
営業時間/9時30分~20時
定休日/火曜日
駐車場/店舗向かいに2台ほど
アクセス/京成大久保駅から徒歩10分
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